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busy_old_fool’s blog

将来は富山に住みたいものです。

翻訳:'Holy Sonnets: Death, be not proud' by John Donne

聖なるソネット『死よ、驕るなかれ』(聖なるソネット10番)

 

ジョン・ダン

 

 

死よ、驕るなかれ。お前のことを強大で恐ろしいと

言ったものがいるが、そんなことはないのだから。

お前が滅ぼしたと思っている連中も、あわれな死よ、

死ぬことはないし、それにお前に私は殺せないのだから*1

お前の写し絵に過ぎない休息と睡眠からも

多くの喜びがある。ならば、お前からはずっと多くの喜びが湧き出るはずだ。

それに、人の中で最も善いものたちは、今すぐにでも

骨を休め、魂を解放するためにお前とともに行くのだ*2

お前は運命や偶然の、王と回復の見込めない人々*3の奴隷で

毒や戦争、疾病とともに住んでいるのだ。

その上、アヘンやまじないもまた私たちを寝かしつけられるし

お前の一撃よりも良いものなのだ。なら、なぜのぼせ上がるのだ*4

一つの短い眠りが終われば、私たちは永遠に目を覚ます。

そして死はもはやない。死よ、お前が死なねばならないのだ*5

 

原文

www.poetryfoundation.org

 

<註と鑑賞>

*1:この四行連句で詩人は死に向かって、「お前などは恐ろしくなどない。驕るな」と言っているわけだが、原文ではこの四行連句(特に3行目)にthの音が非常に多くみられる。「恐くない」と言いつつも打ち消しきれない、死に対する恐れがthという摩擦音のつっかえるような音によく表れているように思う。

*2:この四行連句も脚韻形式は最初の四行連句と同じabba型で関連が示唆されている。死に対する恐怖を克服するため、詩人は休息と睡眠のアナロジーを持ち出している。そうすると、6行目の「ずっと多くの~はずだ」にあたる(原文でmuch more mustとリズムよく頭韻を踏んでいる)部分は、確信というよりも自分を納得させようとしているとも思えてくる。さらに、死が地上の苦しみからの解放になることに言及している。

*3:死が我が世の春を謳歌している王族にも病人にも誰にでも訪れえるというのは、中世以降様々な芸術で扱われてきた「死の舞踏」というテーマである。

*4:回復の見込みのない患者にとって、苦しみから逃れるためには死の他にも麻薬やまじないという方法があり、事実それらは死よりも良いものと思われている、と思う。

*5:「死よ、お前が死なねばならない」というのはコリント人への手紙15章26節「最後の敵として、死が滅ぼされます」(新共同訳)より。最後の審判の際に死者が復活し永遠に生きるというのはキリスト教の終末観である。この二行連句で死は、不能なものとされただけでなく、それ自身が滅びる運命にあるものとされた。詩人はこのソネットを通して、死の不安を信仰による勝利で克服した。