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busy_old_fool’s blog

ごく私的なメモ

翻訳:'The Imperfect Enjoyment' by John Wilmot, Second Earl of Rochester (18歳未満立ち入り禁止)

注意:18歳未満立ち入り禁止

とは言え中身は至ってまじめな翻訳です、が、かなり直接的で人によっては大変不快に感じられるかもしれません。悪しからず。

 

未完の快楽*1

 

第二代ロチェスター伯ジョン・ウィルモット

 

 

裸の彼女は、恋い焦がれる私の腕の中で眠り

私は愛に満たされ、彼女はすべが魅力に満ちている。

二人は等しく焦がれる思いの炎にあおり立てられ

愛情の中に溶け、欲望の中に燃える*2

抱きしめようとして腕と脚、唇をぴったりと重ね

彼女は私をその胸に抱きしめ、その顔へと吸い寄せる。

愛の劣った稲光が、彼女の素早い舌が

私の口の中で戯れて、私の考えに

すべてを解き放つ稲妻を下へと投げつける覚悟を

決めよとの命を速やかに下した*3

私の羽ばたく魂は、鋭いキスとともに飛び立ち

彼女の芳しい至福の頂の上を舞う。

だが、彼女のせわしない手があの場所、あの、私の魂を

彼女の心まで運ぶはずの場所を導いているのに、

私は全身が液体のような歓喜*4に溶け

精液となってゆき、すべての穴でいってしまう。

彼女の体のどこが触っていようとそうなっただろう。

彼女の手、彼女の脚、彼女の顔貌がまさに膣*5なのだ。

 微笑みながら、彼女は優しく小言を言う声で𠮟り*6

彼女の体から、冷たくねっとりとした歓びをぬぐう。

その時彼女は、私の喘いでいる胸に幾千の

キスをしながら叫ぶのだ。「ねえ、もうこれ以上はないの?

このことすべては愛と歓喜が受けるべき報酬よ。

快楽にも酬いなけれいけないんじゃない?」

 だが私は、生きたまま破滅した最もみじめな男で

彼女が望んだ私の恭順を示して甲斐なく励むばかりであった。

私は「ああ!」とため息をつき、キスをすれど、挿れる*7ことができない。

激しい欲望が私の初めの意思をまごつかせ

それに続く羞恥がさらに成功を遠ざけ

最期には怒りが私の不能が確かなものとしてしまう*8

彼女の美しい手でさえ、あつい熱を氷河期に

帰らせて、冷静な隠修士を燃え上がらせると言えども、

私のように死んだ燃えさしを温めることは、灰に火をつけても

過去の炎が戻らぬように、もはやないことであった。

震え、混乱し、絶望し、弱弱しく、不毛のまま

望むばかりで弱い、動くことのない塊になり私は横たわっている。

この愛の矢は、鋭い先端を何度も試されてきて、

処女の血で千万もの乙女を染めてきた。

そして、自然が精緻な技巧をもってずっと導いたため

貫いたすべての膣からすべての心へと届いたのだったーー

堅く決意を固め、男であれ女であれ、その怒りが泊まった

どんなものであれぞんざいに犯してきた。

どこを貫こうが、そこに膣を見出し、作り上げたのだ*9ーー

今やこの不幸な時にあり、弱弱しく

しぼんだ花のように萎び、縮まっている。

 この不忠な、いやしくも私の恋人を捨てた逃亡者、

私の情熱に対して不実で、私の名誉に破滅をもたらした奴め*10

いったいどんな幻術に過ちへと嵌められ、みだらのものに忠実で

愛に不忠*11になったのか。

いったいどんなカキ売り女や掃除女、乞食女みたいな卑しい売女*12

期待を裏切るようなことが今までお前にあっただろうか*13

悪徳、疾病、醜聞が露払いをするとき

お前は何と忠実に急いでついていくことか!

まるで無礼な、喚きまわる通りのごろつき*14のように

遭う人すべてを掴んで殴り、喧嘩するくせに、

もし彼の王や郷土が上納金を払えというものなら

放縦な悪党は怯んで頭を隠す。

ちょうどそのようにお前の蛮勇も露呈してしまった。

あらゆる売春宿に押し入り、若い娼婦をみんな犯そうとも、

偉大な愛が攻撃を命じると、お前は主君に対する卑しい

裏切り者となって、耐えようとすることだにない*15

私の体の最悪の、だからこそ最も忌み嫌われている部位で、

町中で有名なヤリまくってるチンコで、

まるでブタが戸口に花をこすってブヒブヒいうように

娼婦はみな、それで膣のゾクゾク感を和らいでもらっている。

そんなお前は餓えた下疳の餌食になってしまえ。

さもなくば、貪るような滲出液にまみれて弱っていけ。

排尿の痛みと結石に日日苦しめ。

私のすべての楽しみが不実なお前に懸かっている時

いくのを拒んだお前なんか、一生小便が出来なければいい。

 そして千万ものやれるチンコが、お前の代わりに

 不当に扱われたコリンナによくしてやりますように*16

 

原文

www.poetryfoundation.org

CAUTION: THE LINK ABOVE IS HIGHLY NSFW

 

参考

busy-old-fool.hatenablog.com

 

<註>

*1:このジャンルの詩('Imperfect Enjoyment' poems)は男の「プライド」の失墜-尊大な自尊心だけでなく、勃起-を扱うもので、源流はオウィディウスの『アモーレス』3巻7歌に発する。

*2:男性視点から書かれているものの、ここからはセックスにおける男女の関係が平等であるように感じられる。Aphra Behnのレイプから始まる'The Disappointment'と好対照。

*3:女性のlesser lightningと男性のthumderbolt。二人のセックスにおける平等関係が崩れたと言えるか。

*4:原文ではrapture。この語は神学的な意味も持ち、人間を天国に昇天させることをいう。12行目のbliss、14行目のsoulとともに宗教的なメタファーが用いられていることにも注目したい。そしてraptureとpleasureは23-4行目を読むと明確に区別されていることがわかる。

*5:初出の1680年版(翻訳もこれに依拠)ではcuntなのだが、以後はさすがに検閲が入っており、伏字にされてたりしていたりもした。この詩の他の性的表現も同様に、伏字にされたり表現を大きく変えられていた。

*6:ここから動詞の時制が過去から現在に変化している。

*7:原文ではswive。OEDによると'To have sexual connexion with, copulate with'とある。今のfuckに当たる語感を持っていただろう。

*8:以上三行が三行連句(triplet)をなす。全体は二行連句(couplet)で書かれている。

*9:以上三行が三行連句(triplet)をなす。

*10:ここからpoet personaは突如に自分のペニスをののしり始める。自らのペニスを擬人化し、勃起不全の責任は自分にはないと言っている点は、彼がself-controllを失っていることを示唆するように思われる。

*11:ここで彼はまるで自分は愛に忠実であるかのように自分のペニスをののしっているが、当然それには疑問符が付く。

*12:道端でカキ(イギリスでは庶民の食べ物)を売っていたoyster wifeや道端を掃除したcinder wenchを踏まえている。彼女らは当然身分が低かった。

*13:愛していない女に対しては射精することができた。翻って、愛するCorinnaに対しては愛しているから勃起不全になってしまう、と言うこと。

*14:原文ではhector。ギリシア神話の英雄ヘクトルに由来する。脱線するがヘクトルの名誉のために言っておくと、彼は『イリアス』においてイリオスの城を守るべく勇猛に戦うトロイア勢の総大将であるだけでなく、息子、妻、老いた父王のことを案じる心優しい人物であったため、この英単語の意味は全く当たらない。

*15:54行目からここ61行目までの比喩はepic simile的に(すなわちギリシア叙事詩に見られる、長い比喩の影響を受けているように)に感じられる。

*16:この発言は当然、彼のコリンナへの愛に大きな疑問符をつけるものである。また、セックスにおいて男が女を満足させるものであるという授受関係が示唆されている、とも読めるだろう。

役に立つと思ったリンク集(随時更新)

1.英国社会・文化

 

「17c イギリス社会」のブログ記事一覧-English Poetry in Japanese

16-17世紀の女性に対する説教などのまとめや、市民革命期ののパンフレットの紹介など。断片的だが有用。

 

Robbins Library Digital Projects

ロチェスター大学のプロジェクト。十字軍とそれについての文学を集めたThe Crusades Project、アーサー王伝説にかかわるThe Camelot Projectなど、まだまだ更新中だが基本的情報が集められていて有用。

 

2.解説・コメンタリー

 

LitCharts | From the creators of SparkNotes, something better.

要約だけでなくテーマ、シンボルなどについての簡単な解説。

 

Representative Poetry Online |

カナダのトロント大学による英詩のプロジェクト。本文と解説が載っている。Poetry Foundationなどの同種のサイトに比べ脚注がしっかりしていて有用。

 

翻訳:'The Disappointment' by Aphra Behn (18歳未満立ち入り禁止)

注意:18歳未満立ち入り禁止

とは言え中身は至ってまじめな翻訳です。

 

失望*1

 

アフラ・ベーン

 

 

ある日、欲情したライサンダー*2

情欲に耐えきれず

愛された乙女、美しいクロリスの不意を襲った*3

そしてもはや、彼女は純潔を守れなかった。

すべてのものが彼の愛と共謀したのだ。

日中の金箔を被った惑星*4

炎に牽かれた煌びやかなチャリオットの中

今や海へと沈んで行っていき、

クロリスのより輝かしい瞳から放たれる光の他に

世界を導く光を残すことはなかった。

 

愛の行為のために造られた人跡まれな茂みの中で

身を任せる処女の許しのように静かに

彼女は魅惑的な弱さを見せて

彼の力を受け容れ、ただそれでも優しいせめぎ合いを見せる。

彼女の手は彼の胸にそっと出会うが

彼を故意に押し返すのではなく

それよりも気乗りして手を引き込めるのだ。

彼が足元で震えて横たわっているうちは

抵抗したって甲斐がない。

「・・・ああ、ねえ、何しているの?」と、声に出す力は彼女にはない。

 

愛と恥じらいが乱れ混ざってせめぎ合う

彼女の優しくも厳しい輝く瞳が

ライサンダーに新たな精力を与える。

そして彼の耳元に弱々しく息を吐きながら

彼女は叫ぶ。「・・・やめて、やめて・・・むなしい性欲を抑えて。

やめてくれないと叫ぶわよ・・・そうしたらあなたどうするの?

命よりも大切な貞操はあなたにだって捧げられない。

捧げてはいけないの・・・身を離しなさい。

離さないのならわたしの命を奪って。心を勝ち取らせ、そして

それと一緒に一番大切な場所も捧げてしまったこの命を」*5

 

しかし彼は、愛の営みに長けているほどに

怖れというものに慣れてはいなかった。

祝福された時をさらによきものにしようと

彼は、彼女の口や首や髪にキスをした。

彼が触れられるたび、彼女の内で新たな欲望が呼び覚ます。

燃えるように熱い、震える手を彼は

彼女の大きくふくらんだ雪のように白い胸に押し当て、

彼女は彼の腕の中、喘ぎながら横たわる。

彼女の美しさすべてが無防備に、敵にとっての

略奪品や戦利品として横たわっている。

 

そして今、敬意や恐れも抱くことなく

彼は得ると誓ったものを探しだす。

(彼の情愛は慎むことを許さないのだ)

少しずつ、少しずつ手を伸ばし・・・彼の手は

ようやく、かの祭壇を手にする。

愛の神がいけにえを捧げる

かの恐ろしい玉座、かの楽園。

憤激は鎮められ、怒りは悦に満たされる所。

かの泉では、歓びがいまだに流れ

全世界に安息を与えるという。

 

彼女の芳しい*6唇が彼の唇に重なり

二人の体、二人の魂がつながった。

そして二人は恍惚の中で解き放たれ

苔の褥に身をひろげる。

クロリスは半ば死人のように、息もなく横たわり

その優しい瞳は湿っぽい光を放つ。

それは昼と夜とを分かつ光のよう、

煌めきの衰えゆく流れ星のよう。

そして今や、彼女に命がある証は

吐いては吸っている短い息、ただそれだけだ。

 

彼は彼女が体を伸ばして寝ているさまを見た。

彼は彼女のむき出しの膨らんでいる胸を見た。

彼女のはだけた薄いローブからは、愛と戯れ

の為に形作られた姿態があらわになる。

誇りと恥じらいに見捨てられ、彼女は

何よりも心地よい歓びを施すのだ。

乙女の清き純潔を

愛の聖なる炎のいけにえにして。

ところが狂喜に狂喜した羊飼いは

いけにえの儀を執り行えずに横たわっている*7

 

 今にも千、万もの歓びを味わおうとしておきながら

そのあまりにも恍惚としてしまった不憫な間男は

茫洋たる歓びが苦悩に変わったことを悟ってしまった。

あまりに有り余ると、愛を毀ってしまう歓び。

彼が従順な女の服を脱がせると

至福の天はすべて眼前に広がった。

手に入れ支配しようと猛り、麗しく

無防備な乙女へと彼は飛び込んだ。

だが、ああ、なんと妬み深い神が

彼の力を奪い、そのくせ欲望だけを残すように図ったことか。

 

官能的欲求の支柱(その支えがなければ

彼女は誰も喜ばすことはできない)

それ自体が今や生きる力を失ってしまった。

弱さがその弛緩した神経を侵し

憤った若者は甲斐もなく、消えゆく

精気を呼び戻そうと試みる。

どのように触ろうにも、勃つことはない。

彼は、その愛が度を越していたことを露呈してしまった。

甲斐もなく励み、甲斐もなく勃てと命じるが

無感覚のまま小さく*8、手のひらの上で体液を滴らせている。

 

この欲情に溢れた残酷な諍いの中

愛と運命はとても厳しく、

あわれなライサンダーは絶望し

彼の理性と命とを自分のものと認めなかった。

そして今や、より高貴な部分を

燃やすべき活発で盛んな炎は

彼の怒りと恥を焚きつけけ、

新たな欲望を燃やす火花を残すことはなかった。

裸体の彼女の魅惑すべてを以ってしても、彼の愛を貶めた

怒りを動かすことも静めることもできなかった。

 

クロリスは、愛と優しい欲望が育んだ

恍惚から目を覚まして

臆病な手を優しく(或いは神意か偶然に嵌められたのか)

あの素晴らしいプリアポス*9

詩人らが物語るように力強いかの神、

の上に置いてみた。

だが、若い女羊飼いは

平野でシダの葉を集めていた時

ずっと如才ないやり方で手を引いて

青々と茂った葉の下に蛇を発見することは断じてなく*10

 

クロリスはただその美しい手を引いて

彼女の欲望をつかさどる神が

彼の恐ろしい炎をその身から脱いだこと

朝露に浴している花々のように冷たいことを知るのみだった。

誰がこのニンフの混乱を察し得よう。

血が心地の良い場所から滴り落ち*11

彼女の軽蔑と恥じらいの二つの表情が

浮かんだ顔一面に赤みが差した。

そして彼女はライサンダーの腕から逃げ

彼は陰鬱な褥の上で喘いだまま取り残された。

 

稲光*12、或いはデルフォイの神から逃げるダフネ*13のように

木立を通って彼女は逃げ、

追う者の目を導くような足跡を

草深い道に残すことはなかった。

彼女の髪の毛の中で跳ね回り

しわの寄った衣服と戯れる風は、

飛ぶように走る乙女の中に

神が造った美しいものすべてを見出した。

そのようにヴィーナスも、愛人*14が殺された時

恐れ、焦りながら運命の平原を飛んで行ったのだ。

 

そのニンフの憤りはわたしにしか

よく想像することも、慰めることもできない。

だが、ライサンダーの心は

彼の運命を揺るがしたものにしか推し量れないだろう。

彼の静かなる悲しみは嵐となり立ち上り

彼の怒りを避けえる神は一人としていない。

彼は自分の誕生を呪った、運命を呪った、星を呪った。

だがそれ以上に女羊飼いの魅惑を呪った。

かの女の、快く男を魅了する力が

彼を不能の地獄へと追いやったのだから*15

 

原文(版が異なります)

www.poetryfoundation.org

CAUTION: THE LINK ABOVE IS HIGHLY NSFW

 

参考

busy-old-fool.hatenablog.com

 

<註>

*1:John Wilmot, 2nd Earl of Rochesterによる勃起不能を詠んだ'The Imperfect Enjoyment'の系譜に連なる詩であり、この詩の初出(1680)は彼の詩集の中でった。

*2:ライサンダー、クロリスともに牧歌ではありきたりな名前。牧歌の伝統に沿って始めている。

*3:レイプからこの詩は始まる。セックスにおける男女の力関係を示しているようである。

*4:ポイボス=アポロン、太陽のこと。

*5:通例、牧歌(pastoral)では女性は話さないという伝統があった。この詩では逆に、沈黙しているのは男性である。

*6:原文ではbalmy: balmはミルラノキから取れる樹脂で、香油に利用される。

*7:セックスにおいて女性が犠牲者という構図。ここに男性>女性という力関係がうかがえるが、ただ、ライサンダーは儀式を執り行えない。

*8:insensibleに二重の意味を掛けている。

*9:古代ギリシアで牧人らに崇拝された豊穣神。巨大な勃起した男根の持ち主として描かれる。

*10:この件には聖書のイヴの物語が下敷きにある。

*11:49行目参照。

*12:lightningは'The Imperfect Enjoyment'でも使用されている単語。

*13:デルフォイの神はポイボス=アポロン。ダフネは彼の求愛を拒否し、逃走。追いつかれそうになったところで父に祈り月桂樹に変わったという。以降、月桂樹はアポロンの神木となる。アポロンの職能から、月桂樹は詩人の象徴ともされる。このエピソードは詩と女性の関係を主張し、女性が文筆で身を立てることを正当化する意図をもって挿入されているかもしれない。当時、ものを書いて金銭を得る女性は、娼婦と同類であるとみなされていたと言う。

*14:アドニスのこと。

*15:勃起不能において女性を非難するのは'imperfect enjoyment' genreにおける常套。ただこの詩において一つ確実に言えることは、勃起不能の体験を通して男性>女性であった力関係が何らかの形で逆転しているということ。その意味で、mock-pastoral, mock-'imperfect enjoymnt' poemと言えるかもしれない。

翻訳: 'An Horatian Ode upon Cromwell's Return from Ireland' by Andrew Marvell

クロムウェルアイルランドからの帰還に際してのホラティウス風のオード

 

アンドリュー・マーベル

 

              

やがて頭角を現すだろう野心家の若者は

今は愛しのミューズを見捨てねばならない。

    木陰で物思わし気に

    詩歌を詠うこともならない。

 

今こそ本には埃を積もらせ

使っていない武具の錆に油を塗るときだ。

    大広間に飾られた胴着を

    壁から外して。

 

この様に、落ち着きのないクロムウェル

不名誉な平和の術をやめることはない。

    それどころか大胆な戦争を行って

    彼の盛んな運命の星を急き立てる。

 

そして三叉の雷の様に、まず

育んでくれた雲を割きながら、

    自分自身の見方の間に

    燃えるような道を切り開いた。

 

というのも気高い勇気にとっては

競う見方も、敵も同じだからだ。

    そしてこの様な者にとっては、囲われることは

    抗されることよりも深刻なのだ。

 

それから彼は空を燃えながら進んでゆき

宮殿や寺院を切り裂いた。

    そしてついにはカエサルの、月桂冠

    頂いた頭の至る所を痛めつけた。

 

怒れる天の炎の力に対して

抗ったり、非難することは狂気の沙汰だ。

    そしてこれは真実を言えば、

    多くのことをその男に負うている。

 

その男は、世を避けて慎ましく

暮らしていた秘密の庭園から

    (まるでベルガモットを植えることが

     一番重大な意図であるかのようだったが)

 

熱心豪勇をもって

時の偉大な作品を打ち壊すために登り詰め

    古い王国を

    新たな鋳型に流し込んだ。

 

<正義>が<運命>に不平を訴え

甲斐なく太古の権利を冀ったにもかかわらず。

    しかしながら、強いか弱いかで

    持ちこたえるか壊れるかは決まる。

 

空白を嫌う<自然>が、それ以上に

或る者が他の者の場を奪うことを許さないのなら

    より偉大な魂が来る場所では

    場所をあけてやらねばならないだろう。

 

彼の一番深い傷を負わなかった

どんな市民革命の戦場があっただろうか。

    さらにハンプトンの一件は

    彼がどのような賢い手腕を見せたかを物語る。

 

そこでは、見事に織られた不安を希望と結び付けながら

彼はとても広い計略の網を編んだ。

    それはとても広く、チャールズが彼自身を

    カリスブルックの狭いかごに追い立てて、

 

そこから連れてこられた王家の役者が

悲劇的な断頭台を飾ることまで図っていた。

    その間周りを囲んだ武装した集団は

    血塗られた手をたたいていた。

 

彼はあの忘れがたい場で

俗なことや卑しいことは何もしなかった。

    しかしより鋭い目で

    斧のふちの切れ味を試した。

 

下品な恨みの言葉で神に呼びかけ

救いようのない彼の権利の擁護を求めもしなかった。

    しかし彼はその整った顔を、

    まるでベッドに横たえるかのように下した。

 

この時が力で保たれた権力が

はじめて確証された時であった。

    そのようにカピトリウムの丘に

    人々が最初の線を引こうとしたとき

 

はじめた場所から出た血を流す生首が

建築家たちを怖がらせ、逃げ出させたという。

    それでもかの国はそこに

    その幸福な運命を予見した。

 

そして今アイルランド人らは

一年で従順にされたのを知り恥じ入っている。

    それほどのことを一人の男は成し遂げえるのだ、

    行動力と知識があるならば。

 

彼らはかの男への称賛を一番よく断言でき、

征服されたと言えども、彼がどれほど

    よい男か、どれほど公正で

    どれほど最高の信頼にふさわしいかを認めた。

 

まだ自分の命令についてより頑なになることなく

まだ共和国の手のうちにある――

    それほどよく従順である彼は

    統治することになんとふさわしいことか。

 

彼は平民の足元に一つの王国を

最初の年の地代としてささげる。

    そして彼はどこへ行っても

    王国を民衆のものにしたという名誉を避けた。

 

それから彼は剣と戦利品を身から外して

民衆の裾に並べる。

    そのように高く舞う鷹は

    空から重々しく落ちるとき、

 

獲物を殺した鷹はまた探すことはなく

緑の大枝にとまるだけである。

    そこでは鷹匠がエサで呼べば

    彼は鷹を逃すことはない。

 

勝利が彼の兜を飾っている間

われらの島が夢にも思わないのは何であろうか。

    もし彼が毎年このように戴冠していれば

    他の者たちが恐れぬこととは何であろうか。

 

カエサルとしてまもなくガリアへ

ハンニバルとしてイタリアへ、

    そして自由でないすべての国々には

    厳しい波乱の時が来るであろう。

 

ピクト人らの種々に分かれた党派心では

逃げ場を見つけることはできないであろうが、

    厳しい勇敢さをもって

    格子じまの織物に身を隠している。

 

ふさふさした藪の中で

イングランド人の狩人が見失ったら幸いだ。

    そして猟犬をカレドニアの鹿を

    狩るために放たなければ幸いだ。

 

だが、戦争と<運命>の申し子であるお前は

倦むことなく進軍を続ける。

    そして最後の作戦の遂行のため

    剣を立てたままにする。

 

暗い夜の悪霊を怯えさせる

ための力に加えて、

    権力を得たまさにその技が

    権力を保持せねばならないのだ。

 

原文

www.poetryfoundation.org

 

概説:中世(およそ1485年まで)の英文学

中世(the Middle Ages)は、おおよそローマ帝国の崩壊からルネッサンス(Renaissance)と宗教改革(Reformation)までの間を指す。ルネッサンスとは19世紀の歴史家たちによる言葉で、14-15世紀にイタリアで起こりヨーロッパ各地に伝播していったローマ・ギリシア文芸の「復活」を意味し、また16世紀初頭にドイツで始まった宗教改革はRe-formationという語が示す通り、ローマ・カトリック教会(Roman Catholic Church)の至高な権威を否認するダイナミックな宗教運動である。(1485年までとしているのは、この年にヘンリー7世(Henry VII)の即位しチューダー朝(Tudor)が開かれイングランドにおける中世の終わりの指標として都合がよいからである。)しかしながら、ルネッサンスを「復活」と見る姿勢は、それ以前の時代がいわば休眠状態にあることを示唆する。これに対し、近年の中世理解には二つの潮流がある。一つには、中世とそれに続く初期近代(Early Modern Period)と言われる時代に連続性を見出すもの。もう一つは、17世紀の叙述家たちが時代の栄華を強調するたある意味「中世」を作り出したというもの。そしてもちろん中世の文筆家たちは自分たちが「中(なか)」に挟まれた時代に生きているとは考えていなかった。

 ローマ・カトリック教会による連続性はあったものの、中世は歴史的・社会的・言語的に激動の時代であった。そして、主として三つの区分に分けられよう。アングロ・サクソン文学(Anglo-Saxon Literature)、アングロ・ノルマン文学(Anglo-Norman Literature)、14-15世紀における中世英文学(English Literature in the Fourteenth and Fifteenth Century)である。およそ450年ごろに大ブリテン島の南東の征服を開始したアングロ・サクソン族は、他のゲルマン系の言語と明らかな近似点を持つ古英語(Old English)を話していた。そして10世紀になってようやく、大陸で書かれた古サクソン語による詩の一部が古英語に書き写された。古英語文学は形式と内容においても他のゲルマン系の言語で書かれた文学と物語を共有している。ベオウルフ(Beowulf)における登場人物の多くはキリスト教以前のデーン族(Danes)やイェーマト族であり、イングランドとの関係と言えばアングル族(Angles)の王へのあいまいな言及のみにとどまる。

 言語・文化において見られたアングロ・サクソン族支配下のイングランドの変化は、1066年のノルマン征服(Norman Conquest)により加速される。フランス語を話す支配階層の支配により、英語の語彙にはフランス語からの借用語(loan words)が加わった。また、アングロ・ノルマン(Anglo-Norman; ノルマン征服後に英国に移住したノルマン人とその子孫ら)のアングロ・サクソン族による侵攻前のイングランドに対する関心を通して、12世紀にはケルト文学に登場する伝説的英雄であるアーサー王(King Arthur)がイングランドだけでなくヨーロッパを席巻し、アーサー王と円卓の騎士(Knights of the Round Table)の物語は中世におけるフランス語・英語・ドイツ語などの文学の主要な題材となった。イングランドにあっては、ラテン語・古英語・フランス語・中英語で文学が書かれ、そののちの英文学の発展への環境が整った。

 英語での文学は中世を通して盛んであったものの、「英」文学であることへの意識・プライドは14世紀を待たねばならない。1336年、エドワード3世(Edward III)かフランスの継承権を主張し英仏百年戦争(the Hundred Years’ War)を開始した。1453年にカレー市を残しイギリスがフランスから完全に駆逐されるまで間欠的に続いた戦争の、その一つの結果として上流階級にイギリス人(English)としてのアイデンティティーが芽生えることとなる。そして14世紀末までには、英語は議会や公職においてフランス語にとって代わり始める。カンタベリー物語(The Canterbury Tales)の作者として有名なチョーサー(Chaucer(d.1400))による、ラテン語・フランス語の詩を自国の口語で模倣する試みはこの流れにあると言える。彼の作品は英語の文学の器としての価値を大いに高めるものであり、後世の作家からイギリスのホメロス(English Homer)や英詩の父(the father of English poetry)という称賛を受けることとなった。彼の友人で会ったジョン・ガワ―(John Gower(ca.1330-1408))も、以前はラテン語・フランス語で詩作をしていたものの、最後の作品『恋人の告白(Confessio Amantis)』は(タイトルこそラテン語であるものの)英語による創作である。この様に、14-15世紀の英文学は単に時代区分というだけでなく、英語をラテン語・フランス語に匹敵しうる文学の媒体としたのであった。

 

参考文献

The Norton Anthology of English Literature, 9th edn, Vol.A. Ed. Stephen Greenblatt et al. New York and London: W. W. Norton & Company, 2012.

考察:『絶園のテンペスト』

1.シェイクスピアと世界劇場

 

                          All the world’s a stage,

And all the men and women merely players;

Shakespeare, As You Like It, II. vii. 139-40

 

       すべて世界は舞台であって、

男も女のみな、役者にすぎぬのだ。

シェイクスピア『おきに召すまま』拙訳

 

 

絶園のテンペスト』にはシェイクスピアからの引用、へのアリュージョンが多い。作中のセリフには『ハムレット』のほか、タイトルにもある『テンペスト』からしばしば引用がある。また直接の引用でなくとも、孤島の魔法使いをはじめ、作中の様々なモチーフも上記の二冊の翻案に負うているものがたくさんある。いわゆる「御柱」が消失した際、空に舞う多くのアゲハ蝶を見た真広と吉野の語らい—―「胡蝶の夢とも言うね。この世は夢かうつつかわからない。これまで俺たちがみてきた世界は都合のいい偽物だって言っているのかもしれない」―—このとても東洋的な趣のするセリフさえ、シェイクスピアの『テンペスト』の有名なセリフに通じるところがある。

 

                                         These our actors,

As I foretold you, were all spirits and

Are melted into air, into air;

And like the baseless fabric of this vision,

The solemn temples, the great globe itself,

Yea, all which it inherit, shall dissolve

And, like this insubstantial pageant faded,

Leave not a rack behind. We are such stuff

As dreams are made on, and our little life

Is rounded with a sleep.

Shakespeare, Tempest, IV. i. 150-9

 

              あの役者たちは、

前にも言っておいたようにみんな妖精なのだ、

それで大気の中に溶けてしまった、大気の中に、みんな。

だがなあ、なんの土台もないままの幻想の世界と同じに、

雲を戴く尖塔も、豪奢な王宮も

荘厳な寺院も、そうとも、巨大な地球そのもの、

この地球上にあるすべてのもの、それはみんな消え失せてしまう。

実体のない余興が消え失せたように、

あとには雲の一筋も残りはしない。私たちは

夢と同じものでできている、ほんの束の間の一生は

眠りで閉じられる。

シェイクスピア『あらし』大場健治訳(研究社)

 

 

真広と吉野が、彼らのいる作中世界を造られたニセモノかもしれないと言っているその言葉のように(彼ら二人がそれを本気で信じていないところにアイロニーがあるのは言うまでもないが)、『テンペスト』におけるこのプロスペローのセリフも、彼のいる世界が劇というニセモノである事を『テンペストテンペスト』という舞台の観客に意識させる。そして『テンペスト』においてはプロスペローのセリフは劇中劇(劇の中で演じられる劇)の直後のものとなっている。(プロスペローの言う「役者たち」や「なんの土台もないままの幻影の世界」がすなわち劇中劇のことを意味している。)さて、この劇中劇の効果とは観客に「劇中劇というニセモノを見ている劇の世界もニセモノなら、劇というニセモノを見ている自分たちもニセモノなのかもしれない」と思わせるところにもあるだろう。つまり、私たちが生きている世界は劇場で、私たち自身役者であるかもしれないのだ。この考えはラテン語でtheatrum mundi(世界劇場)というもので、シェイクスピアが生きたエリザベス朝における一つの世界のとらえ方であった。

 

そしてこの作品『絶園のテンペスト』は、その意味で劇中劇の手法を効果的に用いたシェイクスピアの後継者であるといえる。「始まりの木」に支配されていた世界は、二人が「都合のいい偽物」かもしれないという通り、一種の劇中劇的世界となっているからだ。このことをさらに例証しよう。絶園の魔法使いであった愛花は、「倒されるために存在する神」である「始まりの木」の司る「理(ことわり)」のためにーー真広と吉野を葉風に会わせ、「始まりの木」を倒す方向に誘うためにーー死を選んだ。彼女は言う、「私は始まりの木を倒すのが使命の絶園の魔法使い。倒す道を選ぶために私の死が必要なら、自ら死を選ぶことは理屈に合っている」と。ゆえに彼女の行動原理は、「始まりの木」を倒すための「理」という台本の通りに絶園の魔法使いを生きて(そして死んで)いくことであった。だからこそ最期に残したビデオレターで「舞台上の役者は、シナリオを無視して勝手に動くわけにはいきません。美しく退場してこそ、役目を果たせたといえます」と言うのである。それに対して「始まりの木」が無くなった後、その台本を生きた愛花の墓を前に真広は語りかける。「お前にとって人生は誰かに決められたシナリオ通り演じ、その通り終わらせるもの。だから、シェイクスピアのセリフをやたら口にしてたんだな。でも愛花、俺はお前が間違っていたと言う。お前はやってはいけないことをやったし、やるべきことをやらなかった。誰かのシナリオをなぞることしかできなかったからお前は間違ったんだ」と。ここにはっきりと「始まりの木」の支配する世界が、愛花を役者とした劇中劇となっている構造が見て取れる。しかし、かく言う真広のあり方もアニメーターが絵を描き、そして台本の通り声優が演じている劇にすぎないのは自明である。視聴者の私たちは、劇中劇構造をもつアニメの視聴者なのだ。分かりやすいように括弧を用いて包摂関係を表すと、【≪[劇中劇]を観ているアニメ≫を観る視聴者】という立場にいるのである。そしてもちろんこの構造は、劇中劇というニセモノを見ているアニメの世界もニセモノなら、アニメというニセモノの世界を見ている自分たちの世界もニセモノなのかもしれない、と思わせる。つまり、シェイクスピア同様、私たち視聴者に対し、あなたたちの人生も演劇なのではないか、と問いかける構造になっている。

 

2.運命とは?

 

絶園のテンペスト』ではこの世界劇場の構造を用いて、運命(とその対極にある自由意志)というテーマを論じている。この観点からキーとなるのは愛花である。彼女は単に劇中劇にきれいに収まる人物ではなく、むしろ『絶園のテンペスト』において最もメタな視点を持ち合わせた、世界劇場における運命に最も肉薄した人物という側面を持つからだ。彼女は、自分たちをプロスペローに言葉や知識を教わった奴隷のキャリバンに例えて言う。「わたしたちも[キャリバンと]同じです。二つの木を送り込んだ連中に、少しばかり特別な知識や力を与えられはしても、結局はその奴隷にすぎません。[・・・]彼らの望むようにすれば、とりあえず幸せに終わるんですから」と。すなわち彼女は、彼女ら登場人物の「始まりの木」を倒すための行為は、アニメ制作者という「二つの木を送り込んだ連中」が作り上げた「すべてのことは理が働いている、導かれた運命」に支配された物語のなかの自由意志を持たない「奴隷」の行為であると仄めかしているのである。そして突き詰めれば、物語の中の登場人物が作者の意思/シナリオという運命に縛られ、その意味で自由意志を持たないという事実は、救いようもなく正しい。ゆえに真広が「誰かのシナリオをなぞることしかできなかったからお前[愛花]は間違ったんだ。俺は誰かの舞台劇をなぞるみたいな結末はつけねえ」というとき、彼はアニメ登場人物として持っているはずのない自分の自由意志を信じていることになる。もちろんそれを視聴者が見ているのであるが、この劇中劇の構造を先ほどのように括弧を用いて示すと【≪[自由意志を持たぬと悟っている愛花]を見ている、実は自由意志を持っていないのに持っていると信じている真広≫を見ている視聴者】という風にあらわされる。そしてもちろん、自由意志を持たないにもかかわらず持つと信じている真広の姿は、視聴者も自らを重ねることになるであろう。私たちは普段自由意志を無根拠に信じているが、果たして私たちはそれを持ちえるのか、と。

 

このように『絶園のテンペスト』では運命(とその対極にある自由意志)が大きなテーマであり、運命と主要な登場人物の恋愛模様とが絡み合って物語は進んでいく。その中で運命は劇中劇構造以外でも、メタプレーヤーたる視聴者を直接巻き込むような手法で語られている。例えば、葉風が「これは何か? ラブコメか? 世界の命運をかけたラブコメなのか?」と言うとき。この時、私たち視聴者はその通りだと思うだろうが、究極的に葉風の恋が作者の意思という運命にに縛られたラブコメであることに想いをいたすのである。このセリフが効果的であるのは、愛というテーマはアニメの世界でだけでなく、私たち自身もしばしば運命とともに語るからである。以下の葉風と順一郎の会話もアニメの世界を超えた普遍性を持つことで視聴者を巻き込んでいく。

 

葉風「まさか吉野に恋するなど、こんなの予定にないぞ」

順一郎「予定して恋するのもどうかと思うけどね」

 

そう、恋(愛)に当事者の自由な意思(予定)にかかわりなく落ちてしまうものなのだ。そしてこうした瞬間は、私たち『絶園のテンペスト』のメタプレーヤーである視聴者にも普遍的に当てはまる。恋に落ちる瞬間というものは往々にして自分では説明ができない、運命的な力によると感じられるのではないだろうか。ーー運命の出会い、などと言うように。そしてもう一つ、愛と運命について印象的に用いられている言葉がある。シェイクスピアの『ハムレット』からの引用である。

 

For ‘tis a question left us yet to prove,

Whether love lead fortune, or else fortune love.

Shakespeare, Hamlet, III. ii. 190-1


愛が運命を導くか、それとも運命が愛を導くか、

それはわれらの人生がめいめい試さねばならぬ問題だ。

シェイクスピアハムレット』野島秀勝訳(岩波文庫

 

 

この格調高いセリフの引用も、先ほどと同様視聴者である私たちめいめいに運命について愛(恋)の体験を通して考えさせる効果がある。この台詞もアニメの世界を超えて現実の私たちに語りかける。あなたたちの人生ではどうだったか、と。『絶園のテンペスト』はかくして、劇中劇的構造や愛というキーワードを通して、視聴者に運命というテーマから作品を観させるのと同時に、メタプレーヤーたる視聴者自らを支配する運命(もちろんあるとも、ないとも言い切れない)というものについて考えさせるように仕向けてあるのである。

 

3.「ではあらためて始めましょう。それぞれが作る、それぞれの物語を」

 

そして、この運命という問題に対して『絶園のテンペスト』は終わるということをもって一つの結論を出しているように思われる。物語を描くこと、それが愛花の言うように作者が登場人物を作者の意思/シナリオという運命の「奴隷」として縛ることであるのならば、物語を終えることは彼らを解放することになるのではないだろうか。こうして彼らは自由な意思を手に入れる。真広、吉野とも愛花に対する、作者の意思/シナリオという運命に導かれた愛に縛られていたが、物語の終末にはそれぞれが新しい愛(恋)に向かって歩き出している。物語が終わり、彼らの愛がこれからの白紙の運命を導いていく。「運命が愛を導く」から「愛が運命を導く」への転換がなされているのだ。――たとえ、その愛の始まりこそシナリオという運命に縛られていたとしても。この物語は、シナリオに支配された愛花の避けられない死という悲劇の通奏低音を響かせながらも、その結末では(シェイクスピアの喜劇しかり結婚で終わる喜劇のコンベンションを受け継いで)、登場人物が新しい「愛の花」をこれから咲かせていくことが予感される。愛花が葉風に、物語は「とりあえず幸せに終わる」と予言した通りに。ところで、先ほども指摘した通り愛花は最もメタな視点を持った登場人物であった。そして、かつて彼女が吉野や葉風に「これもいつかは美しい結末の伏線になる」や「とりあえず幸せに終わる」と言った時の「美しい」、「幸せ」という価値の判断基準は彼女の利害を離れて、『絶園のテンペスト』に出てくる登場人物らの、というよりその世界を画面越しに眺めているメタプレーヤーである視聴者のそれと一致しているように思われる。さらに物語の最後の愛花のナレーションも、アニメの中の登場人物たちが聞いているものではない。そのため、確かに愛花のナレーションは物語が終わった後、登場人物らが新たな愛を起点に自ら運命を切り拓いていくことを言っていると解釈しうるとしても(そしてこの解釈も全くもって正しい)、それよりもメタプレーヤーたる私たち視聴者に直接語り掛けているものに思われるのだ。あなたたちは運命に支配されているかもしれない。それでも、これからは物語を観終えたあなたたちが、あなたたち自身の物語を彼らのようにひたむきに描いていきなさい、と。

 

「始まりは終わり、終わりは始まり。ではあらためて始めましょう。それぞれが作る、それぞれの物語を」